肌の色が違う人と結婚するということ。

今年の11月に籍を入れる。

率直に言うと、アメリカ人、しかも黒人と結婚するなんて思ってもみなかった。行ったこともないし、まず国として大きすぎてイメージがわかない。

だからといって絶対に黒人はない!!って感じでもなかったけれど、なんとなく”わたしには合わないだろうな~”くらいの感じ。

私の中での黒人のステレオタイプっていうのはスポーツ万能、訛りのある英語、直感的、本能的。

こういう国別/人種別ステレオタイプ(いわゆる”あるある”ってやつ)の話をしだすと”差別だ!”って言う人が必ず少数でてくるんだけど、どうして”あ~わかる!あるある~”ですませられないのか。

その国のイメージっていうのは自分が関わった人から形成されるから偏ってしまうのは仕方のないことだと思う。

話題によって”聞く人を選ぶ”ということは必要だと思う。

こういうデリケートな内容は、聞き手がどんな人かを知った上で ”あ、この人はこの内容だったらユーモアとして受け取ってくれるな”っていうのをわかって話さなきゃいけない。もしくはお酒の席で場が盛り上がって笑って聞き流せるような時とか。

これだけSNSが発達して、誰もが自由に発言を許される現代社会では

“つぶやき”

という形で不特定多数の人に見られる発信をしている以上、突っかかってくる人もでてくる。売り言葉に買い言葉でどんどん燃え広がって思わぬところに飛び火するかもしれない。

ただ、そうやって差別を盾に言葉狩り、言論統制をしていくとじゃあもう誰も何も言うな、ってなことになってしまう。

〇〇は△△すべき!っていう強い言い方をすると同じだけの力で反発が起こると思う。だから、”あくまで自分はこう思う”くらいに止めておいたら良いんじゃないかな。

あとは反論するのが趣味の人は一定数いるのでそういう人とは距離をおくこと。又はディベートと割り切ってやること。

その人の意見は嫌っても良いけどその人が嫌いだからって痛めつけようとしないこと。

Instagram、Twitterとかで友達の発言について好きじゃないな、自分とは反対の考え方だなって思っても、その意見っていうのはその人の一部分でしかなくて全人格を否定するには至らない。あ、踏み込みすぎたなと思ったら一歩ひいてその話題には触れないようにする。

必要なら一旦ミュートする。自分が落ち着いたらまた戻せば良い。

このへんは最近出来るようになった自分の中での小さい成長。

差別

ジョージ・フロイドさんの一件から活発化したblack lives matter の活動は私にとって全く無関係ではない。

このあいだ、ブラックアウトチューズデーといって多くの人がインスタグラムに真っ黒な画像を載せていた。

最初は見ているだけだったけれど、日本人の友達もやっているのを見て

自分もやったほうがいいのかな?と思った

果たしてこの黒い画像を載っけると言うことが結果的に何か変えるのか?

それは本当の意味での黒人達へのサポートになっているのか?

ちょっとニュアンスは違うけど、

絵踏みたいだなと感じた。

自分のなかで、もちろん彼らの力にならなければ、と言う気持ちもあったけど、中途半端に大衆迎合したくなかった。問題の根深さを知らないまま足を踏み入れたくなかった。本気でその現場でプロテスタントしている人達の気持ちを軽視しているんじゃないのかなって。

もやもやしてきたのでダンテに直接聞いた。

“ね、黒い画面のやつ、やったほうが良いのかな?募金とかしたらいいのかな。何も発信しないってことは協力してないのと同じだよね。”

“これはさ、君の問題じゃないから、プレッシャーを感じてそういうことをする必要はないんだよ。募金だってしてもいいと思うけど、僕らが欲しいのはお金じゃない。

今起きていることが重要なんだ。黒人と白人が一緒になってレイシズムは間違っていると伝えること。

もし君が出来ることがあるとすれば、それは僕を1人の人間として面倒を見ることだよ。

それに、将来の話をすれば僕らの子供は無関係じゃなくなる。そうなったらどうしたってこの問題に足を踏み入れることになるんだから。”

もしそのうち子供ができて

その子供が成人して国籍を選ぶ時、

今もおんなじ状況だったら正直アメリカ国籍は選んで欲しくないと思う。

肌の色が違うという理由だけで

ふつうに買い物しているのに警備員に目をつけられたり、ポケットから手を出すときに構えられたり、銃を突きつけられたり、警官に家に押し入られたり、車から引きずり下ろされてボッコボコにされたり、抵抗もしていないのに窒息死させられたりして欲しくないから。

ここで私が強調したいのは、

これはアメリカで起きている黒人と白人差別問題であるということ。

差別という大きなテーマが持ち上がっているからかな、一部の人は”全ての人が平等であるべき””アジア人の中でも差別はある” “日本人でも一歩外に出れば有色人種として差別をうける” “遠くの国より国内の差別に目を向けるべき”などの問題提起をしているけど

事の大きさのレベルが違うでしょう。

私も海外に行っている時にあったのは

外のテラスで茶しばいてるときに通りすがりの現地人に”このくそビッチが!!” って言われたり,職探してるときにレジュメを触ってももらえず断られたり(バイト募集の張り紙はあった),クレジットカード投げ渡されたりはした。

でも外見のせいで命に関わるような不都合を感じた事は無かった。し、”私がこの国にお邪魔してる側だからそりゃこういう人も一部いるよな、しょうがない”と思えた。

でも、この黒人白人差別はその国の同じ国民同士で起こっている問題。肌の色は選べないし、大半の人はアメリカ人として生まれた。

だから、”みんな形はどうあれ差別は感じてる”とか”All lives matter” みたいなのは私は好きじゃない。今じゃないでしょ。

✴︎

1人の日本人という立場からみたこの黒人白人差別はこの世に神を信じる人と信じない人がいるように、永遠に解決されることは無いと思う。

昔の日本の神話みたいにみんな血縁になっちゃうとかすれば違うかもしれないけれど。

少なくとも、その時がきたら私も、自分と友達と家族のために戦わないといけなくなるだろうなと思う。その時なんて来なければ良いとおもうけど。

でも、急激な変化は反発を生むし犠牲が大きくなると思うから、少しずつ自分とまわりの人の意識から変わっていけたら良いと思う。

肌の色や国籍関係なく、1人のひととして存在が平等に扱われる。それが普通の世の中にならないといけない。

✴︎

“風の谷のナウシカ”と、手塚治虫の”火の鳥”を全人類が読んだら世界平和になる!と半分本気で思ってるし、

難しいことを考え始めるとすごくネガティブになって“地球に人間がいることが諸悪の根源じゃん。全部なくなってしまえば万事解決!”という極論に達してしまう。

できれば今日の夜ご飯どうしよっかなぁくらいのことしか考えたくないのだけど

これについてはどうしても一言二言いっとかないとなと思いました。

これから自分の人生の一部になるからね。

自分と全くバックグラウンドが違う人と結婚することがこんなに1つのことを掘り下げて考えることになるとは想像つかなかった。

ダンテが絶対にアメリカには帰りたくないと言っていた理由も理解できた。

人は自分自身の問題にならない限り興味を持って行動できないと思う。だからこうやって物事をいろんな角度から見て、当事者の隣にいて声を聞くことができてよかった。

自分の考え方のくせがわかったり、感情的になってしまう自分を少し俯瞰で見られるようになったのは、一つひとつ忍耐強く丁寧に説明して、話してくれるダンテのおかげ。

違って当たり前、が前提の付き合いはおもしろい。

Ruka

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